安寧省「合肥」で出会った写真
中国に駐在しているときに観光で訪れた安寧省「合肥」。
三国志に登場する張遼が活躍した場所であり、下関条約で清国の全権大使としても来日した李鴻章の出身地でもあります。
日本史でも必ず登場する李鴻章。
李鴻章故居(李府)は記念館のようになっていました。
そこに展示してある写真を丁寧に眺めていると、一枚の写真に目を奪われました。
写真は淮軍(わいぐん)が上海を行進しているときの様子です。
1862年3月、太平天国(首都:南京)の乱によって脅かされた上海を警護するために、李鴻章が淮軍を派遣します。
淮軍は李鴻章が創設した安寧省一帯の地方軍であり、身分に隔てなく農民も参加していたとのこと。
李鴻章は英国の援助を得て、淮軍を陸路ではなく船舶によって長江を下って上海に派遣します。
同じく1862年の5月、
長州藩士の高杉晋作は江戸幕府には内密で短期間ではあるものの上海留学をしていた時期と言われています。
「高杉晋作は上海でこの淮軍の行進を見たに違いない」とふと思ったのです。
淮軍の行進を見て、彼は何を考えたのだろう?
当時の日本では正規の武士階層からなる軍隊しか存在しない。そんな時代に彼は帰国後に「奇兵隊」を立案します。「奇兵隊」の立案には何かきっかけがあり、この上海留学に何かヒントあったのではなかろうか?
そんなことを連想させる一枚の写真でした。